大賀酒造

福岡最古の現役造り酒屋

新型コロナウイルス禍に世界中が揺れる中、福岡最古の現役造り酒屋、大賀酒造(筑紫野市)を訪れた。

マスク姿で出迎えてくれた蔵元の大賀信一郎さんは、蔵の歴史について説明をしてくれた。

江戸時代の延宝元年(1673年)創業。

2020年の今年で、347年続く酒蔵である。

ただ、大賀さんによれば、「大賀家はもともと庄屋で、500年ぐらい前にはこの地に来ていた」という。

歴史深き街に腰を下ろした名士は、近くの太宰府天満宮とも縁が深い。

日本酒を納めているのはもちろんのこと、太宰府天満宮の秋の大祭・神輿行列で神輿を引くのは、昔から大賀家所有の黒牛だと決まっているという。

蔵のわずか南西に目を転じれば、九州最古の寺・武蔵寺があり、仏事に大賀酒造の清酒は欠かせない。

太宰府天満宮と武蔵寺を直線で結んだ途中にある大賀酒造からは、歴史ロマンの香りがぷんぷん漂ってくるのである。

その3世紀半の歴史で、最大の苦難とも言える時期かもしれない。

大口の顧客が軒並みピンチとなり、日本酒の出荷にブレーキが掛かった。

およそ350年の間には、飢饉もあっただろうし、世界大戦も、そしてスペイン風邪などの疫病の流行もあっただろう。

当時の文献は残っておらず、先人たちがどう耐え忍んだのかもわからないが、大賀さんは「その時代、その時代でもがき苦しんできたのだと思います」と想像する。

そして、「この先、どうやって酒造りをしていくか。どうやって酒を売っていくか。ゼロから変える気持ちで臨まないといけない」と、歴史長き酒蔵を守り抜く決意を語る。

流通の発達やインターネットの登場で、最近でこそ、全国の酒蔵のお酒が、どこにいても手に入る。

だが、昔は、どこの地域の造り酒屋でも、地元の人たちが飲む酒だけを製造していたはずだ。

地元の人が、地元の酒蔵を支えていたわけである。

大賀酒造が350年もの歴史を刻めたのも、それだけ地元に愛され続けているからだと思う。

大賀の酒を飲み慣れた人たちへの敬意か。

酒造りに関して「昔から大きく変えていない」と大賀さんは言う。

もちろん、「ちょっとのマイナーチェンジはしてきている」。

ここ10年ほどで蔵人の世代交代が進み、杜氏もぐっと若返った。

宮崎哲成(あきしげ)杜氏は科学的な数字の裏付けをもとにしながら、経験だけに頼らない酒造りをしている。

酒質も安定し、近ごろの酒類の鑑評会で目につく成績を上げてきた。

代表銘柄は「玉出泉」だが、5年ほど前に登場した「大賀」銘柄の日本酒がきれいなのみ口で人気が出ている。

「大賀」は、南極観測隊の料理人に気に入られ、南極大陸に渡って観測隊員に好評だったことも話題になった。

大賀酒造は、今も昔も根強いファンがいる。

だから3世紀半を生き延びてきた。

大賀の酒を愛飲する人たちに支えられながら、この先も酒造りの歴史を刻んでいくに違いない。

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