ぼくらは、寅さんを知らない。
渥美清が何故渥美半島を名乗ったのか?知りもしない。
またさくらが愛される理由もしかり。
父親が、テレビで寅さんが流れているとき、珍しく見入ってたな。くらいの記憶しかない。そんな中、柴又に帝釈天に、そして寅さんと山田洋次のミュージアムに訪問した。
柴又まで来たんで、ついでにという感じで訪れてみたが、案外堪能できた。そして日本古来の町並みに懐かしさを覚えたのは言うまでもない。また帝釈天の木造建築物にも心奪われた。
そんな中、話はそのミュージアムに移る。山田洋次監督のメッセージ。
日本人独特のつつましい、身の丈に合った暮らしかた、生活文化は(中略)昭和三十年頃までは細々つながっていたと思う。今日、それがほとんど崩壊してしまった。
ぼくの作る映画が観客にとって「身につまされるような」物語りであり「他人事ではないような」ドラマでありたい。いつもそんな思いで制作してきた。このミュージアムも、その願いがこめられた世界があってほしい。
この2つのメッセージが印象に残った。
そこで本題のつましさとつつましさ。つましいとは地味で質素であり。つつましいとは遠慮深いしとやかなことである。競争社会が情報化社会が高度経済社会が、今にとどまることをはばかり、小さな幸せ、その家族のだんらんを良しとしなかった。結果が今の現実なんだろう。
酒を呑む。飲む理由は人それぞれだ。理由なんてないのかもしれない。たまには、日本酒をただただ呑む。肴を黙してただただ喰らう。そんな日常のありがたみに幸せを感じる。それだけでいい。
着飾ることのない夜を過ごす。そんなことを改めて感じた。