彼岸花は不吉な花と言われる。
三途の川。その先に見える向こう岸を彼岸。此岸と彼岸。その境目が曖昧なこの時期に咲くという彼岸花。赤く染まるその花の下に土葬された先祖がいるから。先祖の首を切ってはならない。など、彼岸花にまつわる不吉なエピソードは、最近ではあまり聞かないが、昔は言い伝えられてきたものだった。
天寿を全うし、鶴になる。
筆者の祖母が、そろそろ天寿を全うするようだ。もう長く生きている。そして痴呆症で、もはや筆者は無論、介護をしている実の娘である母親すら認識できていない。その状況下で10年は経つ。別れの日。その日が訪れる。
母方の祖母である彼女は、生まれは久留米で戦時中疎開して、鹿児島県出水市へ。以来、近隣への転勤はあれど、その人生の殆どは出水で過ごした。出水は鶴の渡来地である。古くから長寿の象徴である吉祥の鳥として知られている。鶴として見守ってもらいたい。
できて当たり前。できなきゃ自分が悪い。
その彼女は、筆者の久留米にある高校の先輩である。当時はまだ、女子校として別れていたが、いつぞや合併をしているので、大先輩にあたる。また彼女にとって、筆者は初孫であり、また子供は皆、娘であったこともあり、大層可愛がってもらっていた。ただ、殆ど怒られるということはなかった。昔っから「空気を読め」という教えがあったように思える。子供ながらに様々な選択を求められる場面、できるかできないかわからないことをする場面。そういう局面で、空気を読め。察しろという視線と場の雰囲気を味合わされた。できて当たり前。できなきゃ自分が悪い。できたら喜ばない、当たり前だから。できなきゃ自責の念に駆られろ。ということを口に出さずに、空気で感じた。
現実とは、時として残酷である。
はじめて認知症になった彼女を目の当たりにしたとき、心揺さぶられた。そして、はじめて彼女の記憶から消し去られたとき、何も言えなかった。そして、今。その死を近い未来、起こりうる現実と認めたとき、その未来を描けないでいる。母親やその姉妹、そして孫家族、皆、彼女を介護し、看病し、ふれあっている。その人たちがいる以上、ただその接触を拒否してきた筆者が当事者風情で語ることなんておこがましいが、昔を思い返せば何もできず、痴呆症という現実を受け入れることができないでいた。今、先が短い現実を受け入れながらも、未だに何もできない。
彼女がつくったあおさの味噌汁が好きだった。煮付けが好きだった。卵焼きが好きだった。随分前になるが、その出水の実家にて彼女と二人きりだったときがあった。突然喋りだすんじゃないか?なんて淡い期待したが、何も起きなかった。当然である。ただ誰も居ないんで、必死に話した。返事なんていらなかった。痴呆症という現実を認めない日々と決別するためにも。話した。話し続けた。謝った。感謝した。すべての感情を時間の許す限りぶつけてみた。
彼岸花より紅く。濃ゆく。燃ゆるもの。
あの日も咲き誇っていた彼岸花。毒々しい紅い花びらに屈しない彼女の血が筆者にも流れている。
末筆に。彼岸花の花言葉ご紹介します。
彼岸花白い花:花言葉は、思うはあなたひとり。また逢う日を楽しみに。
彼岸花赤い花:情熱。独立。再開。あきらめ・悲しい思い出。思うはあなたひとり。また逢う日を楽しみに。
更に追伸。今回撮影は安藤彩綾さんモデルとして。撮影場所は宮崎高原町:皇子原公園。かなり私的な文章となりました。申し訳ありません。ご協力ありがとうございます。