飯塚 嘉穂劇場

先月、福岡県飯塚市にある嘉穂劇場で、中村勘九郎と中村七之助による「全国芝居小屋 錦秋特別講演2017」が行われた。

以前、博多日本酒吟醸香でも紹介したのだが、博多座で坂東玉三郎×鼓童『幽玄』の取材をさせていただき、これはぜひ観なければと思っていたところ、運よく前から4番目の真ん中寄りの席が取れた。この時は、いわゆる歌舞伎ではなかったものの、玉三郎さんの流れるような舞や立ち振る舞い、なにより儚く優艶な表情、正直女性でさえもできないような何ともいえない表情に圧倒され、惹き込まれた。すっかり玉三郎さんファンになってしまった。

歌舞伎をちゃんと観たいという思いが高まっていたところ、なかなか行く機会に恵まれなかった嘉穂劇場で、中村勘九郎と中村七之助による講演があることを知り、早速行くことにした。 

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飯塚は、長崎街道の中でも賑わっていた大きな宿場町

江戸時代、鎖国政策の中で唯一外国へ開かれていた長崎の出島。その出島に届いた砂糖を江戸まで運んだ道が長崎街道。そこから、長崎街道が別名「シュガーロード」と呼ばれるようになった。当時、大きな宿場町であった飯塚宿では砂糖が流通し、菓子製造が盛んであったそうだ。明治初期からは炭鉱町として栄え、炭鉱労働者の疲れを癒すため、甘いお菓子は欠かせないものであった。また、東京や大阪など取引先への手土産にお菓子が喜ばれたそうだ。

飯塚では、数多くの銘菓が生まれている。

千鳥饅頭で知られる「千鳥屋」もそのひとつ。

寛永7年(1630年)に佐賀県で本格的にお菓子屋を始め、昭和2年(1927年)に飯塚に松月堂の飯塚支店として「千鳥屋」を開店。千鳥饅頭、マルボーロ、かすていらなど三品を専門につくりはじめ、昭和14年(1939年)には飯塚を本店とした。

名菓「ひよ子」もそうだ。明治30年(1897)に飯塚で「吉野堂」を創業し、大正元年(1912)大人から子どもまで「みんなに楽しいおどろきと笑顔を」という思いから、名菓「ひよ子」を生み出した。飯塚は養鶏が盛んだったという背景もあったようだ。

そして、「なんばん往来」で知られる「さかえ屋」も、昭和24年(1949年)に飯塚で生まれた。その他、地元で愛され続けるお菓子が数多くある。

飯塚を含む筑豊炭田は日本では主要な石炭の産地で、戦前日本で最大規模の炭田であった。

今のように娯楽があまりない時代、炭鉱町に住む人々が楽しみにしていたのが、芝居小屋だ。川筋には、最盛期には50あまりあったそうだが、今も残るのは、嘉穂劇場のみ。

嘉穂劇場は、大正10年(1921年)、前身となる「中座」として開場した。平成15年(2003年)の九州北部豪雨で多大な被害を受けたが、全国からの寄付や地域住民の熱心な働きで復活を遂げた。平成18年(2006年)には国の登録有形文化財の指定を受けた。現在、運営はNPO法人嘉穂劇場で行っている。2004年にNPO法人の認証を得て、合資会社嘉穂劇場から、劇場と敷地を譲り受けた。

外の看板は全て手描きだ。この人の手による温もりがいい。

おそらく昔の劇場そのままの姿。この同じ場所、同じ空間で、炭鉱で働く人たちが肩を寄せ合うように座り、歌舞伎や舞踊を楽しんでいたかと思うと、なんだか感慨深い。

ギリギリでチケットを取ったので、後ろから2番目のイス席だったのだが、劇場がこじんまりとしているので、よく見え快適であった。また、博多座では「二月花形歌舞伎」が行われるので行こうと思う。 

劇場にしても歌舞伎にしても、時代を超え、今の私達にも同じように感動を与えてくれる。いつまでもこのままで、変わらないでいてほしいと心から願う。

歌舞伎を堪能した後は、嘉穂劇場から歩いて5分ほどのところにある、酒まんじゅう屋「香月屋」へ。天然酵母でつくられるまんじゅうは、皮がしっかりとしていた。

アツアツの酒まんじゅうを一つほおばった後は、嘉穂劇場近くの酒蔵をめぐるとしよう。