月が満ちる宵に願う

望月,藤原道長,満月,月見て一杯,知覧平和会館,必死

2018年11月の3連休。日没間近の時間帯に移動することが多く、3日とも月の出を目の当たりにし、満月の大きさと月光が極めて美しかった。見聞きした記事によると、藤原道長が詠った望月の歌から、ちょうど1000年という月日が流れたそうだ。その月を1000年後、月は変わらずこの国を照らした。ちなみに望月は、最照月(もてりつき)を語源とする説もあるそうだ。最照月に相応しい輝きを放っていた。

その月が照らす晩に。

出張で鹿児島にいた筆者は不思議と死について考えた。なんとなく迫ってきてはいるであろう死の瞬間。その瞬間に何を思えたら幸せな死になるんであろう?そんなことを考えながら、夜道を歩いていた。通り道には西郷隆盛の墓がある南洲神社がある。この道、先を見据えば、西南戦争西郷隆盛終焉の地もある。生きるとは?死ぬ瞬間に何を悔いるのか?などなど。死生観を考えるにはふさわしい道である。望月が照らす夜道。維新の志士たちが歩んだ夢のあと地にて。答えは見つからないであろう課題を自身に投げかけていた。

一つの所に命を懸ける「一所懸命」

その領地に命を懸けて戦うからこその一所懸命である。この地を守るために。どんなに攻められようと守り切るために命懸けで。そう生きていくのが武士の姿だったのであろう。

必ず死ぬ。必死。

数年前に、知覧の特攻平和会館にて直面した10代の男たちが残した、最後の手紙に書かれていた必死という文字。その力強さと潔さに震えた。その時代の恐ろしさというものもあるのかもしれないが、どういう胸中であれば、この文字を書けるのか?何を考えて書いているのか?という点では、尊敬に畏怖、そして憧れに似た感情も一部あったのかもしれない。

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月は満ち欠け昇り沈む。

月は繰り返す。月光となり、ときに漆黒の闇ともなる。夜空を照らし、光は消え失せ、闇夜に同化する。ただ、また変わらず照らす夜が訪れる。輝くものは陰る。藤原道長が隆盛を極めた時代。武士の終焉を告げられた時代。特攻隊という戻れない戦に覚悟を決めていく時代。変わりゆくものでありながら、変わらないもの。それが月。

死ねない理由がある以上、死なない。

望月に誓った。まだまだ死ねない。やらないといけないことがある。命懸けで守らないといけないものがある。命懸けで作らないといけないものがある。照らして欲しいこの世で生きる皆々の未来を。そして歩んで欲しい共に。人類の明日を。迷えし人々は月を眺め考える。その夜に見える希望の光であり続けて欲しい。

月見て一杯。

花札の役にもあるこの言葉。花見と合わせて月見。遠くに見える月の先に何を思い浮かべ酒坏を飲み干したのであろうか?秋の夜長。月をみながら一杯いくとしよう。

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