海賊とよばれた男2

 福岡県宗像市にある赤間宿  その2

教育大を地元宗像に。教育の町になってほしい

お墓からの帰り道は、鹿児島本線の線路沿いを歩き、教育大前駅経由で戻る。

「福岡教育大のある場所は、当時とある案が出ていました。それを出光さんが反対されて、この地が教育の町になってほしいと、ある程度のことは援助しますとのことで、福岡教育大ができたのです。出光さんは、このあたりの学校にプールや図書館などもつくってくださっています。自分が寄付したということは全く残さない、そういう方でした。自分のふるさと、大きな意味では日本が繁栄してほしい、そういうお気持ちがあったんだと思います」。

地元のために、大学の誘致までされていたとは。もし、別の施設ができていたら、この街の風景はガラッと変わっていたに違いない。教育大前駅を過ぎ、出光佐三さんの菩提寺である法然寺、生家を通り過ぎ、街歩き最後となる出光佐三展示室へ。

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地元の有志が開設した「出光佐三展示室」

福岡県北九州市門司区の「出光美術館 門司」内には「出光創業史料室」が併設されているのだが、赤間宿にある「出光佐三展示室」は地元の有志が2016年11月に開設した。規模は小さいものの、常にスタッフがいるので、地元にちなんだ話なども聞くことができる。

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「西郷隆盛が座右の銘としていた言葉に、敬天愛人(けいてんあいじん)という言葉があります。天を敬い、人を愛するという意味なんですが、出光さんは、宗像大社を崇拝され、宗像の神というのが強くあったようで、敬〝神″愛人とお書きになったところが、非常におもしろいところです」。

宗像大社をどうにか修復したい

出光佐三さんが宗像大社を厚く信仰していたことは、よく知られている。

「出光さんが宗像大社を訪れた時、屋根は破れボロボロになっていたそうです。それで、『なんで修復しないのですか?』と聞いたところ、『国宝だから勝手にできない』と言われたそうです」。

それは、出光佐三さんが51歳、昭和12年のことだった。それから5年後の昭和17年に、「宗像神社復興期成会」を結成し、会長になった。

宗像大社復興のために、沖ノ島の学術調査をはじめる。それが、世界遺産へと導いた

「宗像大社を復興するには、宗像神社史をつくらなければなりませんでした。神社史は学者の方にご協力いただきながら、非常に膨大な資料になるようなものをつくる必要があります。

そのためには、沖ノ島を調査しなければなりません。沖ノ島から探索して研究しないと、前に進まなったのです。この調査には莫大な費用がかかり、出光さんのご協力があったと聞いています。今回の世界遺産につながったのは、出光さんのおかげだと思っています」。

沖ノ島の学術調査が始まったのが、昭和29年。

「海賊と呼ばれた男」のメインの話となっている日章丸事件があるのだが、日章丸がイランのアバダンに入港し、イラン石油を始めて輸入した翌年から行われている。学術調査は3次まで行われ、昭和46年まで続いた。この学術調査で、沖ノ島からは10万点以上の宝物が収集された。

これらの出土品約8万点が宗像大社の「神宝館」に展示され、実際に見ることができる。この神宝館の建設にも出光佐三さんは尽力された。

「出光さんはタンカーに、沖ノ嶋丸、大嶋丸、赤間丸など地元の地名をつけています。そのことからも、いかに地域を愛しているかが伺えます」。

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とてつもなく深い地元愛。心から地元宗像を愛し続けた

出光佐三さんは、昭和56年に永眠した。

日本の石油産業の発展に力を尽くしたのは言うまでもないが、これだけ地元を愛し地元を明るい未来へと導くなんて、感動というか衝撃すら受けた。この出光佐三さんの思いは、きっと多くの人に受け継がれているに違いない。出光佐三さんのような大きなことはできなくても、地元を思う気持ちが集まれば、きっと何かを生み出すと思う。

宗像大社とあわせて、ぜひ赤間宿を訪れてほしい。

後日、門司にある「出光美術館 門司」へも足を運んだ。美術品の展示もあるのだが、出光創業史料室を目当てに訪れる人が多かったように思う。永眠してもなお、出光佐三さんは、私たち日本人にとって忘れてはならない大切なものを伝え続けてくれる。

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