久留米の北野天満宮

久留米の北野天満宮近くの蔵巡り

博多日本酒吟醸香。3人目の書き手になってから、早1カ月半が経つ。「福岡県内の酒蔵をくまなく巡って来い」との社長命令(?)のもと、喜んで実践するのみである。福岡県酒造組合の蔵元マップを見ると、福岡県にはなんと約70もの蔵がある。さて、今回は、どこへ行くべきか。新緑がきれいなこの季節、筑後川沿いの蔵元を巡ることにした。

久留米インターを降りて、筑後川沿いを車で走る。阿蘇山を水源とする筑後川は、九州地方最大の河川だ。また、別名を筑紫次郎という。利根川の坂東太郎、吉野川の四国三郎とともに、かつては日本三大暴れ川のひとつと言われていたのだが、この穏やかな川の流れからは、とても想像がつかない。今に残るさまざまな治水の歴史を巡ってみるのもおもしろい。

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まずは、寄り道。北野天満宮へ。

天喜2年(1054年)に創建された北野天満宮は、菅原道真公の分霊を祀り、京都にある北野天満宮の代官所としての役割を果たした。京都の北野天満宮へは、4月に行って来たばかり。鳥居をくぐり抜け、本殿へ。

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菅原道真公といったら、誰もが知っている太宰府天満宮。

菅原道真公といったら、「学問の神様」や「至誠の神様」として知られる太宰府天満宮である。醍醐天皇の時代、右大臣に任じられた菅原道真公だが、左大臣藤原時平による身に覚えのない罪によって、九州太宰の権師に左遷。その際に詠まれた和歌が「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」。春風が吹いたら、香りをその風に託して大宰府まで送り届けてくれ、梅の花よ。主人である私がいないからといって、春を忘れてはならないぞ、との意味だそうだ。

大宰府に左遷され2年後、波乱の生涯を閉じたのだが、道真公の晩年の不遇はさまざまな伝説を生んだ。没後、藤原氏に対して怒り、この世に数々の災いをもたらしたとされる道真公の怨霊を慰めるため、京都北野天満宮が立てられたという説もあるようだが、真偽のほどは定かではない。それにしても北野天満宮の朱色の楼門と大きな楠は見事。

河童(!?)の手が実存する

久留米には数多くの河童伝説があるのだが、この北野天満宮には、なんと「河童の手」が今でも大切に保管されているという。この河童の手にも、道真公に関する言い伝えがある。道真公が京都から大宰府へ向う途中、藤原時平の追討から河童が道真公を助けようとして戦い切り落とされたという説と、川に引き込もうとした河童の手を道真公が切り落としたという全く逆の2つの説だ。この河童の手は、25年に1度一般公開。興味がある方は、見ない手はない。

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拝殿前には石造りの金と銀のウソ鳥が

拝殿前には、学問の神様に縁の深い鳥とも言われている石造りの「ウソ鳥」があるのだが、この「ウソ鳥」にまつわるおもしろい祭りが今もなお行われている。道真公は、「うそ」を言わぬ清らかで誠実な人柄だった。その道真公にあやかって「うそ」を云わぬ誠の人になるように願いを込め、暗闇の中、木で作った「ウソ鳥」を取り替える行事が「うそかえまつり」の起こりだそうだ。現在、うそ替え祭は毎年2月25日に行われ、「木のウソ」を参拝者同士が「替えましょう、替えましょう」と声をかけながら交換し合う。その風景が目に浮かぶ。

 拝殿には、千年乃松、庭の鶯、山の壽の酒樽が奉納されていた。ということで、今回は、この3つの蔵を巡ることにした。まずは、北野天満宮から歩いて3分ほどの、「庭の鶯」の山口酒造場へと続く。

 

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