日本清酒発祥の地へ

日本清酒発祥の地とは、どこ?日本清酒発祥の地を求め、奈良のお寺・成暦寺へ

博多日本酒吟醸香のおかげで、何かにつけてお酒関連のネタを探してしまう今日この頃。友人が奈良の金勝寺(白洲正子さんが愛したお寺は滋賀県にある金勝寺)というお寺に嫁ぎ、友人家族に会いに奈良へ行くため、いろいろとネットで検索していたところ、たどり着いたのが、やはり日本酒ネタであった。

奈良には、なんと日本清酒発祥の寺があるという。これはぜひ行ってみなければと友人に連絡すると、「ちょうど、案内しようと思っていたんですよ」とのことだった。近鉄奈良駅で待ち合わせをし、車で山間の道を進むこと約30分。日本清酒発祥の寺である奈良県奈良市菩提山町にある「正暦寺」に到着した。「正暦寺」の手前の敷地には、「日本清酒発祥之地」の碑が立っていた。

それにしても、なぜ、お寺で清酒が生まれたのか?

正暦寺は、山間にひっそりと1軒佇んでいるのだが、正暦3(992)992年の創建時には86坊(坊とは僧の住居や信者のための宿泊所のこと)、多い時には120坊を抱えていたという。一番多い時には、1000人余りの人がこの山一帯に暮らし、永遠の美少年として知られる「阿修羅像」がある「興福寺」の学問所としても栄えていたそうだ。いろいろな分野の専門家が、この山一帯に暮らしていたという。

「阿修羅像」が九州国立博物館に来た時、大行列で大騒ぎとなったのだが、一目見たら納得である。前回、奈良を訪れた時、2回ほど見に行き、「阿修羅」を含めた「八部衆」の姿に見とれてしまい、「もっと知りたい 興福寺の仏たち」(金子泰夫著、株式会社東京美術発行)という写真集のような本も手に入れた。今回は、残念ながら行く時間がなかったのだが、「興福寺」の「阿修羅」を見ることができる「興福寺国宝館」は、今年2018年1月1日にリニューアルオープンしたばかり。これは、ぜひ行かないと。

先ほどの話に戻って、なぜ、正暦寺で清酒が生まれたのか。

お寺での酒造りは禁止されていたのだが、当初は飲むためではなく、仏さまに献上するお酒として造られていたそうだ。荘園領主としての役割を担っていた正暦寺は、納められた大量の米と、山間にあるため清らかな湧き水、酒造りの場所、人手がそろっていた。どうやら、酒の製造に用いる菌もあたりの山で手に入ったようだ。ちなみに、このように荘園で造られた米から僧侶が醸造するお酒を「僧坊酒」と呼ぶ。この酒を売ることで、正暦寺一帯の「小寺院」の生計をまかなっていた時期もあったそうだ。

諸白造り、火入れ作業、三段仕込みなどは、正暦寺で生まれた酒造技術

特に、発酵菌(酒母・もと)を育て、麹米と掛け米ともに精白米を使う「諸白造り」は、酒造史の上で高い評価を得ているそう。今では当たり前に行われている火入れ作業は、フランスでワインの火入れ方法を発見する400年以上も前にこの正暦寺で確立されていたというから、正暦寺の酒造りにおける技術は、相当なものだったに違いない。それもここ正暦寺に暮らしていた、いろんな分野の専門家の力の結集といえるかもしれない。

さらに、酒母(後日詳しく説明)の原形である「菩提酛」は、酸を含んだ糖液で培養。その酸によって雑菌が殺され、さらにアルコールが防腐剤の役割を果たすという手法で、日本酒造史上の一大技術革新だったといわれている。

このように酒母仕込みを行い、米麹、蒸し米、水を3回に分けて仕込む「三段仕込み」も、ここ正暦寺から生まれた技術だ。これらの酒造技術は、室町時代の『御酒之日記』や江戸時代初期の『童蒙酒造記』にも記されている。幕府が開かれた江戸で「奈良酒」は貴重な酒として大切にされていたそうだ。この時期、正歴寺は、1年間に酒の税金として銀300貫を納めていたとか。現在のお金に換算すると、数十億ということになる。すごい。

もちろん、菩提酛純米酒も手に入れた。さらに、お酒の神様として知られる大神神社へも足を運んだ。これは次回の話で。正暦寺は、紅葉も見どころだとか。桜咲く春に、また奈良を訪れたいもの。