2018年2月9日大安。無事に恵比寿酒店OPENできた。関わる皆々様のおかげである。厚く御礼申し上げたい。福岡 八女福島の白壁街に恵比寿酒店。何故そうなったのか?経緯を少しまとめておく。
エージェントプラスの成り立ち。
話は結構遡り。WEBコンサルティング会社ペンシルから派生し、エージェントプラスは九州限定で事業を成り立たせるべく産声を上げた。「九州で挑戦 九州に貢献 九州と成長」を企業理念に、ITで九州を元気にするべく、また「僕らの生まれ育った街で、生まれ育てゆくビジネスを」創出していくことで、日夜いわゆるWEB制作、WEBプロモーションまわりを生業としてきた。その延長線上で、メディアを自前で持つべきでないか?という想いを持ちはじめ、九州焼酎島と博多日本酒吟醸香というWEBメディアをつくった。
九州焼酎島という異色メディアができた背景。
当初はアフィリエイトビジネス(成果報酬)的なものを考えていたが、あまりにも真面目につくってしまったため、商売っ気を出すのも違うのかなと思って、その構想は早々に見切った。結果、純粋に蔵元を取材する摩訶不思議なものとなった。だが、それのお陰でファンが増えた。不思議なものである。そしてこのサイト、博多日本酒吟醸香が、此処八女にある喜多屋との出逢いにより誕生するのである。
そして恵比寿酒店が誕生する背景。
WEB通販やりたいけどできない。その現状は蔵元に行けば説明不要であろう。大きい蔵元で多くの人数を抱えてというのであれば、別であるが、大抵の蔵元はさほど従業員数も多くない。家族経営で受け継がれてという蔵元もたくさん存在する。年齢の問題、パソコンを使えない、そんな余裕はないであったりと。蔵元の嘆きが聞こえる。だから2年前WEB通販の代理販売を開始した。エージェントプラスで受け付けて、FAXで送付の案内を蔵元に促す。それはそこそこ成果を残した。結果複数の蔵元から依頼を受けるようになる。ただ、今度は送料問題が発生する。6本セット6蔵から送ると、送料が6倍かかるというような問題である。通販は値段で判断されることが多い。当たり前の話である。消費者はより安く、より手間なく買いたい。結果、我々は倉庫を欲した。ただ物流のノウハウがあるわけでもない。素人がそれなりに対応できるレベルでよかった。それならばその蔵元に近いエリアで。ということで南筑後が候補となり、八女の古民家にたどり着いた。ただその家屋は、非常に格式高い面構えで。倉庫にしておくのは勿体無いと思い、併せて酒屋を開くこととなる。
古民家を持って感じた想い。
自分は家を持っていない。そして鹿児島北薩出身。田舎の家で生まれ育ち、都会に憧れて今日に至る。そして出逢ったこの白壁並ぶ古民家通りは、品があった。そしてこの古民家。自分より大先輩。この街並みに古民家自体に愛されたい。今はそう想う。八女とは縁もゆかりもない。だけどこれから先の未来、縁をつくることができる。
これまで、この古民家で一旗あげるまで、八女の方々に、蔵元の方々、商工会の方々、八女市役所の方々、ご近所の方々。大変お世話になった。その恩返しは、この家、この街をまだ見ぬ次の方々につなげることである。すべてが新しいものが良いわけではない。築130年以上歴史のあるこの建物を大事に育むであろう人物に託すことが使命なのではなかろうか?
町おこしと呼ぶにはおこがましい。
そんなたいそうなことは言えないし、言うつもりもない。我々にできること。それは雇用を生み続けることであり、それこそが、これまでお世話になった方々への恩返しであると。そう感じている。幸いにして、八女の商圏のみがマーケットではない。八女にいながら世界を日本を相手にできるビジネスである、インターネットは。そこで勝負して、さらなる雇用が生まれるよう努めていく所存。酒屋であり、メディアである。八女の九州の地酒の情報発信基地であり、地域の方々が集える場所にして、もっともっと有益な情報発信、付加価値提供ができると自負している。
博多日本酒吟醸香に込めるもの。
福岡県下で県産の地酒消費量は半分以下である。これは東京についで悪い数字と言われている。日本酒激戦区である福岡。にもかかわらず酒蔵が多いことでも有名である。需要と供給。アンバランスになっているこの現状。そして若者のアルコール離れ。せっかく縁あって日本酒に関わる仕事ができ、自分自身も日本酒が好きで、福岡に住んでいるんだから。もっともっと博多の日本酒を広めたい。
そういう意味でも博多日本酒吟醸香のメディア発信基地としてもこの恵比寿酒店を使っていきたい。吟醸香ただようこの店で、老若男女問わず、福岡の地酒をもっともっと好きになってもらえれば。
古久もある。
福岡県下の蔵元で麦焼酎をつくり、黒木町の国鉄トンネル跡地に寝かしたものである。
こういう社交場になって欲しい。