八女が八女である理由。八女津媛。
以前に八女津媛神社については書いている。詳細はこちらにてご拝読いただければ。日本書紀に文面があるとおり、「この地方に女神あり、その名を八女津媛といい、常に山中にある」この人の名が由来とされ八女という名がつけられている。福岡県八女市。昨年7月の最終日。八女津媛神社にも実際足を運んだ。夏といえど、清々しい空気にあふれていた。
喜多屋のかすみ酒を八女津媛という名にした。
商業的ものに使うことは、是非があるだろうが、八女津媛という名を広く伝えたいその一心でつくってみた。春の限定酒として。淡いピンクのボトルは、八女のぼんぼり祭りにふさわしい色合いで、淡くほのかに梅、桃、桜を連想させる。花見の席、桜の樹の下で、八女津媛を口にしてはいかがだろうか?
八女津媛を見返り美人に描いた理由
振り返って欲しい八女の歴史。今、恵比寿酒店は築130年の古民家にその居を構える。古い家屋は、決して使い勝手のいいものではない。冬は寒い。隙間風も吹き叫ぶ。セキュリティ上不安になる要素も多い。ただ雨戸を閉めて、その街並みにひっそりと息をしているのは、もったいない。やはりこの130年の歴史を感じてほしいものである。そして、敬意を払うべきである。
八女津媛が見続けた1300年
さらに10倍の1300年あまり。祀られて矢部川も八女も見守り続けている。その人がどんな歩みをしたのか?その1300年がどんな歴史だったのか?我々は知っていいだろう。知るべき人である。そんな想いから八女津媛を描いている。
福岡市一極集中ではなく、地元に残る。地元をつくる。
何が豊かで、何が大事なのか?価値観の多様化、グローバルなビジネスモデル、ワークライフバランス。その手の情報が溢れているこの時代。古い家屋で、今はなき諸先輩方の業を讃え、酒坏を傾ける。この豊かな時代。昨日と変わらない夜が当たり前におとずれる。その当たり前を作りあげた偉人たち。我々はそう思われる後ろ姿を見せなければならない。
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