薩摩切子で魅了する

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薩摩切子が好きだ。でも、好きになったのは、おそらくこの4年位の間で。此処まで薩摩切子を好きにさせた張本人は、鹿児島天文館にある第2三木ビル「おん」の大将である。筆者が鹿児島で、いきつけのお店を。という想いで探して、この何年か事業立ち上げから今日まで長く付き合わせていただいている。鹿児島にお越しの際には、一度足を運んでもらえれば。
そこにある薩摩切子は、黄色のロックグラスサイズのものになる。薩摩焼酎を呑むのに最適である。それを手に取るまでは、また薩摩切子職人の話を、この「おん」にて伺うまでは、ただの色ガラスをカッティングしているだけではないのか?また、酒を呑むという習慣が、筆者の場合、BARにて育くまれたものだったので。Baccaratのほうがいいんじゃないか?と安易に考えていた。今となっては恥ずかしくもあり、猛省すべき思い出である。ぜひ、薩摩切子を手にとって欲しい。

うつつとうつろい。うつろいのぼかしが、薩摩切子自体の文様に引き出されている。カットは鋭くされるものであるが、それが境目をなくし、ぼかしになる。「八角籠目に十六菊文」「矢来に魚子文」などなど。多くの愛好家は、皆うつろいの世界に心奪われる。

そして、ガラスの色。紅、藍、緑、黄、金赤、島津紫これらが薩摩切子の美しい世界である色彩美を演出し、21世紀に入ってからは、「2色被せ」であらたに、瑠璃金・瑠璃緑・蒼黄緑が追加されている。無色透明なお酒をイロトリドリに華やかにさせる。宴に色を添え、色彩豊かな場にふさわしい存在感を残す。

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幕末の名君。島津斉彬

英明近世の第一人者と呼ばれ、幕末維新の薩摩メンバーの礎には、島津斉彬がいる。その島津家28代藩主島津斉彬は、日本を強く豊かな国にするため、集成館を築き、近代化事業を強固に進めた。製鉄、造船、紡績、印刷、製薬など多くの事業を興し、当時硝子工場では100名を超える職人が働いていたと言われている。花園跡製煉所において着色硝子の研究がなされ、前述の発色に成功している。薩摩の紅ガラスは、その名を轟かせることとなった。ただ終焉は突然やってくる。斉彬の急逝後、徐々に縮小され、西南戦争前後にその技術は途絶える。それから100年、ついえた伝統工芸はまた甦ることとなった。1985年に薩摩切子は復活し、今日に至る。

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無色透明なお酒を華やかすイロガラス

琥珀色のウイスキーを嗜むためには、その色も味である。琥珀色をその瞳に焼き付けるため、グラスは必然的に無色透明になり、口当たり、カッティング、透明度あたりがグラスの評価基準要素として挙げられる。ただ我が国、日本は無色透明の日本酒、焼酎が好まれて飲まれている。一部にごりもあり、また日本酒にもほのかに色があるものの、色を嗜むという飲酒文化は、さほど重要視されていなかった。
だから色がついた。そして、うつろいの世界へいざなうために、ぼかしの技術が進んだ。そこにある技術革新には、酒を愛でる精神が溢れている。その想いが薩摩切子の造形美をつくり、独自の発展につながっている。それが我が故郷、鹿児島であることが誇りに思える。

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酒器にこだわる。

酒器にこだわりたい。なおかつ日本の文化を継承したい。そこに作り手の想いがあるから。物の価値が貨幣価値だけでしか測ることができないっていうのは寂しい。どうせなら呑む酒にもこだわり、つぐ酒器にもこだわり、呑む仲間にもこだわり。優雅な時間にしたい。そんな宴があってもいいじゃないか。争いごとで潰えた薩摩切子が永き沈黙の月日を経て、復活の狼煙をあげ、新たな伝統工芸となっている。伝承だけでなく伝統になっている。そんな歩みに思いを馳せながら、薩摩切子で酒を呑む。そんな日があってもいいじゃないか。

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鹿児島 天文館の第2三木ビルにある「おん」。最後の締めは、月見焼きおにぎり。いつもありがとうございます。