あれから20年。青春の地、久留米の夜に繰り出す。
福岡県久留米市。チェッカーズの時のK-Cityは久留米のことを書かれていると言われている。久留米にゆかりのある二人、藤井郁弥が詩を書き、武内享が曲を創った。アルバムの一曲だが、久留米市、筑後地方界隈の方々がカラオケの締めで歌うことで筆者も結構耳にすることが多い曲だ。その狭域エリアでは知名度がある曲ではないか。
泣いたり笑ったりが毎日で。くだらないことを競い合う。
そんな青春時代をこの土地久留米で過ごし、文化街のネオンが煌めき、酒を覚え、飲んで呑まれたあの時代。あの時代を経て今がある。今となっては危なっかしい話も小っ恥ずかしい話も淡い甘酸っぱい話も貴重な人生経験で片付けられる。
20年ぶりの久留米。
翌日が喜多屋の蔵開きということで、せっかくなので、取引先のお客様で筑後エリア出身の方々も誘い、久留米に泊まって飲んでみる計画を立てた。懐かしさと久しぶりの此の地への再会に、心躍っていた。ただ当日は、気温が低いということもあり、人通りが少ない。ただ、20年前の思い出補正が入っているから、物悲しい感が強い。あの彩り豊かな光り輝く印象が強い。そして考えると、その当時、久留米にいたメンバーが今どれだけ残っているのか?と。これが現状なのかもしれない。ただそんなノスタルジックな雰囲気に陥ることはなかった。そこで働くスタッフ、お店の常連客、皆活気があり、いい笑顔で。外様であるはずなのに、十分楽しく過ごすことができた夜だった。
思い出の地 南京千両
その昔。久留米で飲んだ夜は、南京千両が最後だった。この南京千両こそが、とんこつラーメン発祥の地と言われている。今回久留米に向かったメンバーで1名宿泊できない人間がいたので、先に南京千両へ向かった。いわゆる久留米ラーメンとは違う中太ちぢれ麺が印象的な一杯だ。沁みる。ひたすら沁みる。この街に足を運ばなかったこの期間。変わらなかったものと変わったもの。その後ろめたさからなのか?ひたすら沁みた。
喜多屋蔵開き
翌日は、福岡県八女市にある喜多屋の蔵開き。同じメンバーで朝から、ただただ酒を呑んだ。圧倒されるのはその人の数。地元の方々、福岡市内から来られた方々、県外から、東京からも。皆、ハンドルキーパー以外の方々はほころぶ笑顔で酒を呑む。飲み方もそれぞれで。出店もあり、ツマミもアテも困らないが、弁当を作ってきて、それを肴に酒を飲む方々も多い。ちなみに酒を呑む費用はぐい呑の購入費用だけだ。200円で事足りる。それで喜多屋の酒が飲み放題。多くのお客様は集まってくるはずだ。
地域貢献っていう広義な言葉で片付けてはいけない
筆者自身も企業を任せられ、営み生業にしている。地元に貢献したい。地域に貢献したいという想いで、動くこともある。ただ、この規模で、振る舞い酒を振る舞えるのだろうか?この日呑んだ「ぐい呑」程度の器でしかないんじゃないだろうか?いつしか行く機会がないな。っていうことで、足が遠のいた久留米。変わらなかった一杯のラーメン。先の歌謡曲になぞらえるのであれば、ネオンが消えたのか?ネオンを消し去ったのか?バツの悪い自分が久留米にいた。次食べるあの屋台のラーメンは、素直に美味しくいただきたい。
喜多屋の蔵開きに関わられた皆様お疲れ様でした。楽しい一日をありがとうございました。