1998.5.2

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1998年5月2日。その日、世界は変わった。

その日、一人の天才ギタリストの命がこの世から消えた。その死に関して、当時から様々な憶測が立てられているが、真相は本人にしか分からない。憶測で話をすることは避けるとする。ただ筆者に関しては、その死は衝撃的で、その日以降の未来に夢や希望も失った。決して仰々しく書いているつもりはない。それほどの出来事であった。あれから20年近くの月日が流れている。筆者の中でも彼の存在は年々薄れていってるのも事実であるが、バンドのギタリストとして残した楽曲も、ソロでアーティストとして残した楽曲も色褪せない。

ギタリストなのに、ソロ活動2枚めのアルバムあたりから、ギターを手にするライブパフォーマンスは極めて減った。ソロ活動なのに、裏方含め、バックバンドも舞台に上げた。対等なチームを作り上げようとした。1997年12月31日最後の夜。彼の色鮮やかなスーツは湿っぽさを感じさせない。その色以上に光り輝き、熱狂的ファンをもてなすため、最後の夜、楽しんでもらおうとスポットライトに照らされた彼は魅了し続けた。そして年が明け、彼は閃光のようなうねりをこの国にもたらした。ムーブメントだった。そしてROCKET DIVEの名の通り。その閃光は瞬く間に、あの空の向こうに。自らのジェットで。

デタラメと呼ばれた君の夢の続きはまだ胸の中で震えている。

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PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK

ボーカロイド的な構想も当時から考えていたり。サイボーグロックという言葉を造語として世に出し、人が奏でる楽器をDigital処理してこの世にない音色を生み出したり。日本語でロックをつたえることにやっけになったり。旧態依然のものを踏襲するのではなく、ないものを生み出す前衛的なアーティストだったのだ。

DRINK OR DIE

彼は酒乱だった。それこそネットを漁れば多数の伝説はすぐ見つかるだろう。その彼が好きだったのが日本酒だった。ロックでも日本酒。素晴らしい。博多で日本酒を楽しんだ機会もあったことだろう。

日本酒、バーボン、ビールにアブサン、焼酎、どぶろく、テキーラなんでも来い。

酒持ってこい。今さら病院怖くて酒が呑めるか。

それなら産婦人科で宴会しようか。

これがD.O.Dの歌詞である。天国でも浴びてて欲しい酒を。宴会を夜な夜な繰り広げていて欲しいものだ。あの日から20年余り。彼がいなくなったこの世界。残された者として、楽しく日本酒を呑んでいきたい。