その名は村上玄輝陶房。
2015年11月有田の街並みを飲食店経営者と歩いていると、ふと目に留まった幾何学模様。一瞬にして、その精緻な絵柄と寸分狂わぬ構図に息を呑んだ。心を奪われるデザイン。心が蠢くアート。人通りの少ない平日の骨董品屋で、過去に受けたことのない衝撃が走った。そして人は、その衝撃を受けたとき、自分の自信のなさから疑いの目を向けるということも知った。これってそんなにたいしたものなのか?そう思い込もうとしている自分がいた。この作品に心を奪われたくせに。
村上玄輝陶房は、今、村上俊彦(兄)と村上邦彦(弟)の兄弟でつくられている。その話を骨董品屋の主人から聞き、先に書いた否定的な考えから、その日は足を運ぶのをやめた。ただ、その悔いは尾を引いた。
あれから2年余り。
現在、福岡市に配られているタブロイドペーパー・ヨンキュープラス。この前取材を兼ねて、有田へと足を向けた。井上萬二先生の取材と合わせて、どうしても村上玄輝陶房へ行きたかった。先の後悔もあり。本当にふらっと、訪問して、先の感動を二人に伝えると、口数はさほど多くないけれども、話をしてもらえた。そして、取材にも快諾をもらえ、11月には同じく花田伸二のヨンキュープラスという、福岡のTNCでの深夜番組にも出演していただくことが決まった。
二人は並ぶ。
陶房という言葉を使われているので、その言葉を使うと、陶房では、二人並ぶ。兄弟で並ぶ。これには驚いた。近い存在であるからこそ、遠い存在でもあり。ある程度、距離を保ちたい。兄の立場でも、弟の立場でもそう思うのではなかろうか?にも関わらず、二人は並ぶ。当たり前の顔して、器に向かう。その横には当たり前の存在である兄弟がいる。当たり前な話だけど、現実離れした光景に驚きは隠せなかった。
村上玄輝の名を継がない。
兄弟でやっているからこそ、村上玄輝の名をどちらかが襲名すると、どちらかが村上玄輝ではなくなる。であれば、継がない。二人で、俊彦、邦彦の名を通して、やりつづければよい。これもまた当たり前な話なのかもしれない。ただ、営業上、商習慣上、そうじゃないほうが動きやすいんじゃないのかなと。他人は勝手に思うが、あくまでもそれは他人の都合であって。当事者間では、そうじゃない事実のほうが、受け入れやすいものなのかもしれない。
この作品が生まれ続ける未来であって欲しい。
他人である私は勝手にそう願う。ただ本人たちからすると、そうじゃないほうが当たり前であれば、それが当たり前の選択として現実になるのかもしれない。その精緻な色絵が寸分狂わぬ構図の幾何学模様に相成ったとき、村上玄輝の名を超える、村上俊彦と村上邦彦が生まれているのかもしれない。そしてその作品は、まだ見ぬ未来の目利きの目と心と常軌を奪い狂わせることとなる。かつての私がそうであったように。
村上玄輝陶房のぐい呑で極醸喜多屋を呑んだ。奪われた心・踊らされた心は落ち着きを取り戻した。そして、改めて願う。この作品を作る担い手が、この作品を超える担い手が当たり前の顔して並ぶ未来が当たり前の未来にあることを。