南洲神社と西郷隆盛

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南洲神社にて4月最後の日曜日朝。

言わずと知れた維新の雄、西郷隆盛である。筆者の故郷、鹿児島では過去の偉人たちと比にならないほどの人気を誇る。2018年、明治維新150年ということで、来年度の大河ドラマは「西郷(せご)どん」が放映される。ちなみに、あらかた予想はできると思うが、せごどんは、鹿児島弁で西郷さんである。そんな説明が不要なくらいの人気を誇るものとなって欲しいものだ。また、大河ドラマのキャストが、また面白い。西郷隆盛の父は、風間杜夫で、大久保利通の父は、平田満で、西郷隆盛の母は、松坂慶子で。この3名、蒲田行進曲の主役で。天国にいる深作欣二も喜んでいるのではなかろうか?ちなみに深作欣二没後15年でもある2018年。

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南洲神社の沿革。

南洲神社は、西南戦争が終結し、九州各地に散在していた西郷軍の遺骨2023名が葬られる南洲墓地に隣接している。というよりは、西郷隆盛をはじめ、その地に眠る先人たちの墓に参る人々が年々増加したことから、参拝所となり、大正11年南洲神社として創建された。ちなみに南洲という名は、西郷隆盛の戒名であり、西郷隆盛のことを最敬意で表した呼び名が南洲翁である。南洲の由来は南の島で、沖永良部島へ遠島を命じられた際、その地での書には、西郷南洲の名が残されている。鹿児島県人に愛され、筆者の鹿児島拠点(エージェントプラスさつま)も近くにあるため、この2年あまり幾度となく足を運んでいるが、本当にきれいに清掃されている場所である。

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郷中教育とは?薩摩藩武士階級子弟教育法

鹿児島には郷中教育というものが昔から受け継がれている。まだあるのかわからないが、筆者が小学生のころも、道徳の時間などを使い習ったものである。郷中教育は、2つの経典を基礎に継承されている。1つ目が、島津忠良が完成させたという日新公いろは歌である。島津忠良は島津義弘の祖父で、薩摩武士、士道教育にまつわる47首がいろは歌として、記されたものが日新公いろは歌である。もう1つが新納忠元(にいろただもと)が定めた二才咄格式定目(にせばなしかくしきじょうもく)である。新納忠元は、「大指武蔵」としても有名で、武功も多く残しているが、後世は若い武士たちの育成に励んでいる。その規律を守るという視点で、二才咄格式定目は構成されている。

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西郷隆盛の墓に何を思ふ。

話を戻す。先人を敬う気持ち。それは郷中教育として古くから教わってきている。なので、南洲墓地に限らず、鹿児島のお墓は、この桜島の降灰がある環境下でもキレイにしている。また、お墓自体も日当たりの良い景色の良いところにある。なので、お墓が心霊スポットだ。という展開には違和感を覚えていた。お墓は心静まらせ、清き場所であった。

お墓はその地に眠る先人たちに報告し、心を安らげる場なのだ。

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西郷南洲顕彰館にて。

西郷南洲顕彰館は南洲神社に隣接している。そこに西郷隆盛の生涯がコンパクトに纏められている。ぜひ時間があるとき足を運んで欲しい。そして、西郷隆盛が残したと言われている七言絶句がある。

「肥水豊山路已窮 墓田帰去覇図空 半生功罪両般跡 地底何顔対照公」

西南戦争の最中、延岡の可愛岳を眼にし、鹿児島への撤退を決断したときの句である。この決断をする、諦観の念に達するとき、照国公こと島津斉彬が浮かぶ。その戦い、西郷隆盛は何を考えていたのか?誰かにか話をすることができたのか?

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勝海舟が城山の地で終焉のときを迎え、その話を聞いたとき、西郷隆盛を思い詠まれた句である。この石碑が南洲神社石灯籠横に立っているのだが、これは心苦しくなる。

「ぬれぎぬを 干そうともせず
 子供らが なすがまにまに
 果てし君かな」

武士たるもの死生観に彩られた人生である。命に執着することが恥である。そんな思いで、血気盛んな若者たち、教え子たちにその命を預けたのだろうか?正せなかったのか?正さなかったのか?引き換えとなって進む我が国の未来のために、率先して犠牲になったのだろうか?答えは今となっては、憶測でしか挙げられない。ただ、可愛岳を前に引き返した西郷隆盛が報告し、心の拠り所にしたのは、その若きものたちではなく、島津斉彬であった。

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明治維新。あの日から来年で150年。維新の志士が造りたかった国家は、正しく描かれているのだろうか?2017年4月。平和な世界、安全な世界を脅かす事象がより具現化されている。我々はいつまでも傍観者でいてはならない。時代がうごめく時流をつくるのは自国の民として当然のことだ。命を懸けて託されたこの未来。先の未来へ次は我々が正しい取捨選択をし、次の未来へ懸けていく番である。献杯というにはおこがましいが、いつの日かそんな夜があっていい。そしてその夜は、この先人の方々に、心を安らげ報告したい。そんな未来を築いていきたい。

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鹿児島の墓にあるお花はキレイだ。先人を敬うからこそ。

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この日、自顕流の稽古が行われていた。 自顕流と示現流と薬丸自顕流。ややこしいがここもいつの日か書き記す。