浅草夜桜春宴のあと

 

雷門,浅草,夜桜,ソメイヨシノ,喜多屋

桜が咲く季節を過ごす。

春爛漫。百花繚乱。桜咲く浅草の町。春宴のあと、夜桜見ながら浅草の街を歩いてみた。おそらくこの5年は、花見をしていない。季節感のない人生だ。悲しい現実を省みる。今年こそはと、意気込む思い出すら浮かばない。

桜だけが何故、日本人の心を奪うのか?煽るのか?不思議だ。桜は下を向いて花が咲く。つまり見上げる我々からすると、我々を向いて花が咲いているのである。花は太陽を向いて咲くのが普通だ。それだけでも愛でられる花である。そうなる理由として花柄が長いことと、花柄が細く花の重さに耐えられないということが上げられそうだ。
また梅は花芽が1節に1個。桃は花芽が1節に2個。桜は花芽が房状。花の量が違う。これもまた、桜が愛でられる理由じゃないだろうか?梅や桃と比較すると圧倒的な花の量である。桜吹雪という言葉もこれ故に成り立っている。

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花見の歴史を紐解いてみる。

日本の花見は奈良時代まで遡ると言われている。貴族の行事が起源だと。万葉集、古今和歌集、日本後紀、源氏物語、徒然草。歴史で習う文献にもその様子は書かれている。広く庶民まで花見が広まったのは江戸時代である。桜も品種改良が盛んに行われ、1720年徳川吉宗が浅草や飛鳥山に桜を植えさせ、庶民の行楽を奨励した。

乱痴気騒ぎという言葉もこの頃から広まり始めたのかもしれない。節度ある振る舞いを。と古くから言われ、行儀よく生まれ育っているように思えるこの国のマナーも、桜という樹々が魅せる「儚さ」「潔さ」の前には、少し緩むようだ。窮屈な日常である。ときにはいいのではないか?
ちなみにソメイヨシノは品種改良によってできたものであり、エドヒガンとオオシマザクラが交配して誕生したものである。さらにもう一つ、桜の花は英語表記すると、Cherry blossomと呼ぶことが一般的であるが、昨今は日本文化の影響から、sakuraと表記されることも多くなってきている。桜。sakura。世界を魅了することになりそうだ。

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今宵は花見酒。

博多日本酒吟醸香なので、最後は花見酒。桜吹雪の中、諸行無常を感じ花見て一杯。ともに飲む面子と、他愛もない話をしながら、心地よいほろ酔い気分を味わう。団子と冷酒と桜。風流を感じながら、物思いに耽る。親友と恋人と家族と同僚と。人それぞれ。想いはそれぞれ。ただ今年も桜は咲き、そして惜しまれながら散ってゆく。毎々繰り返されているはずなのに。毎々魅せられて、名残惜しい別れに浸る。そんな人々に桜は今年もまた、咲き誇る。

吉宗が浅草に桜を植えて、もうすぐ300年が経過する。300年桜を見上げる人々の想いをその花は見続けてきた。変わらぬ想い。変わりゆく街並み。時代とともに移ろいゆくもの。時代が変われど変わらぬ想い。桜が見続けた百花繚乱の春宴がいつまでも続く時代を後世に伝えていく。それがいずれ滅びゆく我々の想いを伝えることなのかもしれない。また物思いに耽っていたようだ。今宵、まだ福岡中央公園の桜は咲き乱れている。たまには腰を据えて、桜を眺めてみようか。

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