「碧き夜の果てに」

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Photo Production Style.41重久清隆コラボ企画。第2弾。せっかくなんで、写真ありきでコラムを書いてみた。テーマは「碧き夜の果てに」とする。ちなみにこのプロカメラマンとの付き合いは、おそらく1年くらいであるが、何かと出逢う接触頻度が高く、ぼちぼち濃い目の関係を築きつつあるのではなかろうか?これからもお付き合いいただければ。

酒を呑むという文化を継承していくこと。

冒頭から説明文になるが、この博多日本酒吟醸香。福岡八女の喜多屋さんの支援があって成り立っているが、そもそも喜多屋のお酒を売るということ以前に、日本酒がこの国でもっと愛でられるものになれば。ということで始まったサイトである。日本酒を嗜む文化、日本酒が醸し出す艷やかな香しき「かのかおり」に悲喜交交な表情を浮かべ、そのお店、場所、空間が盛り上がれば。そういう想いでつくっている。九州焼酎島にしても同じである。九州焼酎島では、焼酎の魅力を日本人にもっと詳しく知ってもらい、日本が世界に誇る蒸留酒・焼酎の文化を後世に語り継いでいくことを目的でエージェントプラスにてつくりあげたサイトである。話を戻す、「碧き夜の果てに」この話。

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センチメンタルに。ノスタルジックに。

たまに夜空を見上げて、しんみりなるときがある。星や月。瞬くものが光り輝いている。照らしているんであろう。ちっぽけな人間を。このあと照らすであろう陽の光が現れるまで。筆者は鹿児島の片田舎で生まれ育った。まだその当時コンビニもなく、夜空を照らすものはなかった。夜は漆黒の闇だった。晴れた日は星と月が。雨の日はただただ闇だった。ただただ夜空を見上げる。その頃、何を想い見上げていたのかはもはや思い出せない。

日本酒を嗜む。その帰り

見上げる夜空は、碧い。青いがいいのか、蒼いがいいのか、碧いがいいのか?碧いにしてみた。特に理由はない。酒を呑んだ後、呑まれていることも多いが、夜空を見上げる。夜空は変わっていない。おそらく。見上げる我々は月日の流れとともに年をとっている。その「時の流れ」のみが変わっている。何故見上げるか?できなかったことの後悔、日々の出来事への不甲斐なさ、明日への不安。ネガティブなことが多いからこそ、前を向き、上を向く。そしていつもと変わらぬ夜を見つめ、物思いに耽る。そして再度、前を向く。見上げる夜はこの行程を繰り返している、気がつくと。結局、同じことの繰り返しなのかもしれない。

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「碧き夜の果てに」

碧き夜の果てに、やがて空は赤みを帯び、いつもと変わらず陽の光が照らす。そしていつもと変わらぬ朝がはじまる。そんな夜が繰り返され、惰性に進むのではなく、ゆっくりとした流れで過去との決別、行動に変えていく。そんな推進力へのエナジーを溜め込んでいっているのかもしれない。もうこんな思いをしたくない。こんな夜を迎えたくない。そういう思いの積み重ねが明日への活力になっているのではないだろうか?思い立ったら即行動ではない。徐々に鬱積させ、そのフラストレーションを溜めに溜め込み、限界破裂するタイミングでそのマグマを噴火させる。スピードは遅いかもしれないが、そこに付き合い続けることこそが、現状打破の秘訣なのかもしれない。

そしていつか年を取り、ああ昔はこんなことを考えていたな。などと思い始めたら、それまでなのかもしれない。その日が来ないためにも、まだ見ぬ明日を夢見て、突き進んでいきたい。

嗚呼、青春の饗宴に。

蔵元の杜氏は決して今提供しているお酒に満足していない。我々でも手掛ける制作物に満足していない。何故ならば、まだ見ぬ自身の底知れぬ力を信じて、日々研鑽し、精進しているからであろう。満足した時点でさらなる高みには登られないのではなかろうか?カメラマンも一緒であろう。次シャッターを押すときに、まだ見たことない世界があると信じられるから、押し続けていけるのではないか。

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以上、PhotoProduction Style.41重久清隆コラボ企画でした。写真ありきでコラムを書いてみました。最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

現状に満足しないこと。夢見る人間であり続けること。ゆっくりかもしれないけどその推進力が大事だということ。この3つをこのコラボで伝えておきたいなと重久清隆氏のイメージを浮かべながら書いてみました。また機会があれば、第三弾。やってみます。撮影依頼あれば、このサイトからも受け付けますので、是非ご贔屓に。
こちらコラボ第一弾 GWに何を想ふ。 http://ginjoka.com/sake-you/goldenweek2017/