親子で酌み交わす酒

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気恥ずかしい親子で盃

父親が野球の監督をしていた影響もあり、親子の関係性というよりかは野球の師弟関係が強く、またその後逢わない期間も長く、親子で酒を酌み交わすという体験が少ないというか、ほとんど印象に残っていない。先般記載の文章を書きながら、たまには父親と二人、酒を酌み交わすこともいいのでは?と考えてみた。が、気は進まない。照れや恥ずかしさ。そんなこともあるのだが、2人で何を話せばいいのか?全くもって浮かんでこない。そんなこんなで月日は流れ、今の状態に陥っているのだから。もっと真摯に向き合わねばと。ただ無情に時は刻み、変わらぬ現実は繰り返している。

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会食と接待でのお酒の席とは?

仕事がら、会食とか接待という機会でお酒を飲むことが非常に多い。そして古くからの友人と飲む機会はめっきり減った。飲み会という名の飲みニケーションが全世界に共通する文化なのか分からないが、会食・接待という機会、また社内での歓送迎会・慰労会などなどは、共通言語があるから話題には困らない。特に慌ただしい日々が続いていると、近況報告的な話を探り探りというところが苦手になる。その苦手の最たるところに父親との「サシ飲み」が挙げられそうだ。 ただ最近、親子で会食に参加されるケースに遭遇する機会が多い。そうなると若干の羨ましさを感じる。でもそれは親の立場なのかもしれない。息子の立場としては、「やむなし。仕方なし。」的思考なのだろうか?それでも、この機会に遭遇できる親子の絆、そして息子の体験というのは、その子供にとって非常に有意義なものであるだろう。先般成人式の話を書いたが、元服という通過儀礼もまた、祝宴である、意義を成しているのは。そのお披露目の場で、代々受け継がれし血筋に属し、そこで築かれる新たなステージに立つことで、そこから積み重ねていく経験というものもあるのではないだろうか?

セルフブランディング・セルフマネジメントなど。

昨今、自己啓発に代表されるセルフブランディング・セルフマネジメント周りの話題に事欠かない。もしかしてそれは、これまでの通過儀礼や、家業というようなものとの関わりが薄くなってきていることに起因するものもあるのかもしれない。その血筋に属し、時の流れに身を任せることで、受動的でも次に目指す道筋が必然的にあったのかもしれない。筆者自身も鹿児島を離れ、親元を離れ、昔ながらの集まりというものに接する機会が圧倒的に少ない。そして今更、その内輪間の強固な絆みたいなところに足を踏み入れる気も毛頭ない、おそらく。という姿勢が透けて見えるであろうから、おそらく誘われることもないだろう。

親父と酒を呑む日を夢見て。

親父と酒を呑みたい。 ような気もする。ただ、だらだらと書き綴ったようなことを考えると、そんなに本望ではない気もする。が、残された時間は限りがあるものである。年々、終焉のときを迎える日を考えてしまうくらい、父も衰えを隠すことができないでいる。決して永遠に続くことがない、そしてさほど長くない未来を見据えて、「サシ飲み」のテーマを今日もまた考えてみる。

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